境界線上にいる〜人間模索〜2009/09/07
涼しげな日が続いたかと思うと急に蒸し暑い日がぶり返して来て、涼しさに慣れていた身体にはほんの少しの気温の上昇も厳しく感じられるのだが、しかしそんな暑い日に空を見ると夏の間見られた積乱雲は散り始めていて、薄く棚引いた雲や、羊の群れや、魚の鱗に似た雲が秋の到来を告げていて、一年の内でもっとも風の筆さばきが冴え渡る秋の美しい空が頭上に広がっている。そんな空を見上げて私はまだ身体で実感するのはしばらく先になりそうな秋を、一先ず過去の記憶からよみがえらせて、早々に秋を感じ取ってみようとする。今のところ街路樹は緑の葉をそよそよと鳴らせているが、私の記憶はそれを早くもからからと鳴らし、美しく紅葉させている。歩道に散った葉を踏んで歩くとそれが足の下で、からっ、と音を立てる。鈴虫やコオロギの声も秋の音だけれど、その葉の音こそが田舎で野山に分け入って遊んでいたずっと昔より、私には秋の音と定義し得る懐かしい音である。
夏は間もなく終わる気配を見せている。しかし今年は夏らしいことは何もしていない。ただ誰かが、花火を見て来た、海へ行って来た、と話すのや、その肌が黒く日焼けしているのを見て夏を感じただけで、私自身夏を謳歌したかといえば特にそんなことはなく、ただ毎日、季節に関わらずにやらなければいけないことをしていただけである。だが私にとって夏の風物詩は必ずしも花火や海といったものではなくて、天気の良かった空がいきなり暗くなり、雷と共に雨が降り出す日などが何よりも夏の一日という感じがする。そんな日は窓を開けて外を眺めたり、傘をさして歩きながらその雨の音や、冷えていく街の熱気を感じるのが好きで、そのうちに晴れ間が出て来たりすると雲が散って行く様子をじっと観察して、その忙しい空こそが夏だ、と思ったりする。
今年の夏は図書館に行き始めたこともあって、いつもよりも本を読んで過ごしていた。書籍収集癖のある私にとって図書館は、自分の持っていない本が沢山ある場所という認識で、だから、時に内容を読むことよりもそれ自体を所有する喜びを本に見いだしている私には、それが公的のものであれ他人が所有している、というのは羨みの対象でしかなく、どうしても出向く気になれない場所だった。しかし意外にも行き始めると二週間ごとに返却するという期限が上手く作用して、所有している本ならいつでも読めると置きっぱなしにしてしまうのに、必ず期間内に最低でも一冊は読み終えることが出来るので、自分で買い散らかしているよりも効率的であることを知って、それからは隔週で通うことになった。それでもやはり羨む気持ちはあるので、今では図書館を自分の本棚だと思うようにしているのだけれど。
隔週で通っている場所といえば最近は神保町に行くのが習慣で、その度に古書店を覗いて何冊かの本を買い求めているのだが、この夏に手に入れて一番嬉しかったのは、フランスのルネサンス文化、特にユマニスト、フランソワ・ラブレーの研究で知られ自身もユマニストとして生きた渡辺一夫の『人間模索』という本である。三省堂で行われていた希少本フェアで文庫本であるにもかかわらず、なかなかの高値で売られていて自分の淋しい懐具合と相談すれば当然元の棚にそっと戻すのが賢明であったのに、買い求めてしまったのはなぜだろう。古書店巡りをしているとどこかたがが外れてしまい、なんでもかんでも買ってしまえ、という気になってしまうことはあるけれど、この本はそういう投げ遣りな気持ちではなくて、どこかに出会いの必然性のようなものを感じたのかもしれない。
自分自身に思想というような高尚なものはないが、何か一定の考え方に強い感銘を受けてしまうのは、砂鉄のような自分がその大きな磁力によって引き付けられてしまう、いわば鉄と磁石の関係に類似した性質が、私とその思想の持ち主との間にあるからだろう。だからこの『人間模索』に私は夢中になった。
おそらく、人間の生活は、幸福への渇望のために動いているのでしょう。そして、必ずしも幸福即快楽ではないにもかかわらず、自己批判自己反省の希薄な結果、程度の低いエゴイストな快楽に耽る自分の姿を省みることが困難となるために、幸福への渇望はしばしば快楽の追求と混同されてしまいます。低俗な快楽を放棄することによって、一段と高い幸福感に達することを、「品位」の獲得という言葉を用いてジャン・ゲェーノは、次のように記しています。
「永劫の誤解である! 我々は、今までよりも幸福になることをしか考えないものだ。しかし、幸福を求める本能は、我々を追い立てながら、絶えず我々の勇気を新たにしつつ、我々を導いては行くのではあるが、我々は、こういうぺてんにかかったことを悟ってしまう。すると、我々が勝手に入手できぬ幸福に絶望しながら、我々だけが獲得し得る品位に対しても絶望してしまう。この時、我々は最も失墜しているのだ」と。
(中略)ゲェーノの指示するぺてんには潔くかからねばならず。このぺてんに進んでかかることによって、人間は「品位」を獲得せねばならないのです。「品位」を獲得した人間は、快楽や幸福を求めないかもしれません。それ自体が快楽であり幸福であるからです。
快楽と幸福の境目、それは極めて曖昧な境界線かもしれないが、「品位」という言葉が気高さや、おごそかさを定義として持つ以上、それは人間にだけ存在する境界線ではないだろうか。我々がけだものに失墜するか、人間としての幸福を謳歌するかは、この「品位」獲得にかかっている。そしてヒトの社会は我々一人一人の「品位」の獲得を助力してこそ文明といえるのではないだろうか。この極めて曖昧な境界線上で自分がどちら側に属しているのか、その答えは難しいが、いつも我々は此岸と彼岸との境目にいる、それだけは忘れずにいたい。夏と秋の境目で私はそんなことを考えていた。
秋の響き2009/09/03
夕方の町をふらふら歩いていると、何処からか涼しい風が吹いてきて、それだけで目的のなかった歩行が、涼むため、とか、季節を感じるため、といった意味を持ち始める。私は宙ぶらりんの状態から自分の行動が意味を持ち始めたことが嬉しくて、さっきよりもずっと慎重に一足一足を前に出して行く。ふと空を見上げると日は暮れ始めていて、いつの間にか空に出ていた白い月が、昼間の明るかった空からだんだんと光を取り戻し始めていた。僅かに黄色みを帯びて光り始めた月が、それでもまだ煌々と輝いたりはしないごく短い時間、空が濃い蒼色に染まるその一時は、まるで一瞬の独立した世界のようだ、と思う。
私はしばらくの間だけ普段とは別な世界で過ごしているのではないか、そんな錯覚を覚えて蒼い空に見入っている。だが、それは本当に僅かな時間で、やがて空がすっかり暗闇に覆われると、その途端、私はその世界との接続を失ってしまうのだった。
気が付くと道路脇の花壇や植え込みの辺りから鈴虫の声が聞こえていた。花壇も植え込みもとても狭くて、まさかそんな場所からこんなに大音量で聞こえるものだろうか、と思うほど鈴虫たちは大きな声で鳴いていた。日に日に、本当に少しずつ、夏が終わっていく気配は感じていたけれど、それがまさかこんなところまで進んでいるとは思わなくて、夏の終わりとはそれと同時に秋の始まりでもあるのだ、ということを思いがけず鈴虫たちに教えられた気がした。私はまるで全身が大きな鼓膜になってしまったように鈴虫の声に聞き入っていた。
一千年の目覚まし〜生き残った帝国ビザンティン〜2009/08/31
数日前、隣町の書店に行き『生き残った帝国ビザンティン』という本を見つけた。ローマ帝国の歴史にはずっと以前から興味があって、塩野七生さんの『コンスタンティノープルの陥落』も読んでいたので、欲しいな、と思った。けれど文庫本なのに千円もする値段に購入を躊躇して結局買わなかった。それでも私はその本を諦めたわけではなくて、もしかしたら図書館にあるかもしれないと思ったのである。後日、図書館に行くとやっぱり図書館にあった。こういう時はなんとなく得意な気持ちになってしまう。さっそく借りて帰ったら、それから数日は台風の接近で雨が続いたので、部屋で黙々と読んだ。歴史の本というのはその対象にしているものが人物であっても国であっても、それが滅ぶところで終わるのがほとんどで、そのため読み終えると切ない気持ちになる。
ビザンティン帝国の千年以上も続いた歴史が終わるのは、ただその千年の歴史の重みだけではなくて、古代より脈々と続いてきたローマ帝国の歴史が途絶えた瞬間だった。395年に帝国が東西に分裂し、480年には西ローマ帝国が滅んだにもかかわらず、その後、盛衰を繰り返しながらもさらに一千年近く、1453年まで存続し続けた東ローマ帝国。ビザンティン帝国というのは現代になってつけられた呼称だが、しかしキリスト教化され次第に領地が狭くなっていったこの国をローマ帝国という名で呼ぶよりも、コンスタンティノープル(現在のトルコ共和国イスタンブル)の旧称、ビザンティオンからつけられたこの名で呼ぶのがふさわしい。
ビザンティン帝国を滅ぼしたのはオスマン・トルコ帝国であった。1453年5月29日、それまで様々な外敵の侵入を防いできた強固な城壁が、この帝国の巨大な大砲によって崩れたのである。約千年もの間、様々な外敵の前に立ちはだかり続けてきたこの城壁が崩れた時、奇しくもこのコンスタンティノープルの創立者コンスタンティヌスと同じ名を持ったコンスタンティヌス11世は、自ら皇帝の証である鷲の紋章をちぎり捨てて、少数の守備兵と共に敵兵に突入して行った。ビザンティン帝国一千年の歴史はこのようにして終わりを告げたのである。
私は読み終えて本を閉じると、しばらく、何度も大きなため息をついた。そうして息を吐かなければこの帝国の一千年の歴史が胸の中から抜けていかないような気がしたのだ。サァーッと車が水を跳ね上げながら走って行く音がした。台風はなおも近づいて来ているようだった。強い風が街路樹を揺らしていた。それは目覚ましのように私を現実の世界に呼び戻す音だった。
朝顔の思いで2009/08/19
早起きして散歩に出ると朝顔の花が街の背の高い建物を越して出て来たばかりの朝の日差しに照らされて一筋の皺もない程ピンと咲いていて、その美しさに私はまだ寝惚けている頭を優しく揺り起こされているような気持ちになっていた。朝顔なんて見るのは何年ぶりだろうと記憶の引出しを引っかき回して思い出そうとしてみるのだが、私の記憶は何故かそれよりもずっと以前の小学校の夏休みに育てた朝顔のことを思い出していた。
毎日水をやりその日の天気を確認していつ花が咲き、いつ種子をつけたか日記につけておくこと、そんなことのすべてが宿題だったことを思い返してみると、少し冷めた気持ちになってしまうのだが、しかし毎日朝顔を観察するようなことはなくなってしまった今となっては、そんなことがとても懐かしく思える。
緑色のプラスチックのプランターに、同じ緑色の伸びたつるを支えるための支柱があって、その支柱に絡み付いて一日毎に驚くほど成長していく朝顔に、私は飼い慣らすことの出来ない自然の旺盛な生命力を見たような気がした。いや、それはもしかしたら生命力というよりも、むしろ生きることへの強い欲望と言うべきだろうか。朝顔は一瞬一瞬、瞬間毎に自分の生命をひたすら確かなものにしようと必死になっているようだった。
目の前にある朝顔が僅か一瞬で蘇らせた過去の記憶を、私は季節の終わった衣服をたたんで箪笥にしまうように記憶の中にしまい込んで、太陽が昇るにつれて少しずつ影の減ってきた道をまた歩きだしていた。
狂信と寛容〜ガリヴァー旅行記〜2009/08/13
『ガリヴァー旅行記』を読みました。何を今更と思われる方もおられるでしょうが、何故か今まで縁がなく読む機会に恵まれなかったのです。けれど『ガリヴァー旅行記』は原作をまるまる読んだことはなくても、子どものころに絵本などで知っていて、小人や巨人が住んでいる国、空飛ぶ島、馬が治めている国などが出てくるのは分かっていました。しかし改めて今、大人になり(私が一般の常識と照らし合わせて大人と言えればですが)読んでみますと、そのようなファンタジー的要素はただの手段に過ぎず、そこに込められた作者スウィフトの意思がこの物語をただの冒険物語ではない、物語として一段深いものにしていることに気付きます。それは当時(初版が出たのが1726年)と現在の状況を鑑みましても、人間の深い部分に潜んでいる危険な動物としての性質には変化がなく、従って現代におきましてもスウィフトの言葉は十分に我々の胸を打つに足る文章と言えましょう。
それはつまり「狂信と寛容」と言うことが出来るでしょう。この言葉は仏文学者、渡辺一夫氏がその著書『曲説フランス文学』で仰っていたことですが、自分の信じているもの、あるいは自分自身を正しいと信じて行動をすることは人間誰しもあることです。しかし人間は自分(または信仰しているもの)が正しいと信じるあまり狂信に陥りやすいということです。狂信に陥れば最後、他のものは一切が糾弾すべき対象になり、そのせいで人間同士が殺し合うに至ったということも過去の歴史を見ると珍しいことではありません。
しかし人間にとって一番必要なのは何が一番正しいのか、その唯一のものを決めることではありません。全ての人が寛容になり、自分以外の意見や主張を認め合い、場合によってはそれを止揚し、より正しいものにしていく。こういったことが人間にとって大切なことではないでしょうか。スウィフトは理性のある馬、フウイヌムの国で過ごしたガリヴァーを最後、人間の醜さに絶望させます。フウイヌムは個体ごとに特別な愛がなく、その死も悲しんだりしません。子どもは特に自分の子でなくても、足りなければ(この国では雄雌一頭ずつ子を育てる)よそから貰い受けたり、雄二頭が生まれてしまったら、雌二頭のいる家と交換したりします。いくら理性があり、その行動が正義に貫かれていても、他者に対する愛がなければそれは欠陥なのではないかと私は思います。
スウィフト自身は一体どうだったのでしょう? 人間が人間に絶望してしまえばそれで全てが終わってしまいます。人間は理性(愛と言い換えてもよいでしょう)に基づきこのような絶望から抜け出せるのではないか? それだけが人間を完成へと導いていく唯一の考えだと私は思います。
夏の午後2009/08/05
このところ夏の暑気がゆるんで少し涼しい日々が続き空は曇りがちだったが、今日は実に爽やかな青空が広がっていた。久しぶりにそんな空をじっと見たせいか、私は空から目を下ろすとしばらくの間目が眩んで辺りが真っ暗に見えた。目を閉じると目蓋の裏側で青や緑のもやもやとしたものが蠢いて目が回るような気がした。風が弱いのか雲はほとんど動いていなかった。ただ時折ゆっくりと、きわめて緩慢に動いていた小さな雲が太陽を隠し、辺りを一瞬だけ薄い影が覆った。
午後になって友人宅に行くと夏になって急速にのびだした庭木が玄関に続く道を狭めていた。私はなんとなくいつもよりも体調がよく、暇だったので友人宅の物置にあった剪定鋏や鋸を見つけると、伸び放題の庭木を次々に切っていった。日差しは暑く、汗は滝のように流れて来たが、元来、田舎出身な私はこのような仕事が楽しくて、脚立に上ってもみじの枝を切ったり、絡み付いた藤の蔓を切ったりした。
夕方になり涼しくなるとデュークをつれてドッグランに出かけた。デュークは久しぶりに訪れるドッグランに興奮し通しで車が公園に近づくと、まだ着いてもいないのに車の中で駆け出してしまいそうな様子だった。いざドッグランに入ると我を忘れたように縦横無尽に駆け回り目を輝かせていた。
その後しばらくして入って来た二頭のジャックラッセルテリアが、ものすごい勢いでサッカーボールを追いかけ回していた。見ているとボールを頭で押して円を描くように走っているのだが、器用に自分の半身でボールが遠心力で外に出てしまわないよう抑えているのだった。私はすっかり感心してしまってじっと彼らの遊ぶ姿を見ていた。
雨の日の墓前で2009/07/30
辻邦生の墓所に行こうと思ったのは、たまたま図書館で借りた辻さんの奥さん、佐保子さんの本を読んだからだった。
『辻邦生のために』と題されたこの本は、辻さんが亡くなられてから佐保子さんが書かれた文章をまとめたもので、ずっと遠い偉大な存在として見ていた辻さんが、そこでは他者の客観的な視点で描かれていて、初めて人間らしく感じさせてくれた作品なのだが、そこでふと目に留まったのは辻さんの命日だった。1999年7月29日。この本を読んだのは6月の下旬だったが、それは間もなく没後10年になろうという時であった。
私にとって、初めて本を読んだ時には既に他界していた辻さんは、生死を超えた精神的存在として認識され始めていた。そう言うと信仰の対象として神格化してしまっているように聞こえるかもしれないけれど、というよりはもっと自然に、吹く風や、そよぐ木々の葉に、次第に流れて小さくなっていく雲に、そういった現象の中に、辻さんはいるような気がしていた。そして現在でも時々そう感じてしまうが、『辻邦生のために』で描かれている辻さんは生身で、生命を謳歌していて、とても人間臭かった。佐保子さんの文章の中からは辻さんの笑顔が見え、笑い声が聞こえてくるようだった。そして今では途切れてしまったその笑い声が、一人の作家の不在というのではなく、一人の人間の不在としてとても淋しく思えた。私はそう思うとどうしても辻邦生の墓を訪ねたいという気持ちになっていた。
前日眠りについてからあっという間に朝になった気もするし、ゆっくり眠った気もするのだが、その日はいつになくパッと目が覚めた。私はまだ目を開く前の、意識がぼんやりと自分の中に覚めて来た瞬間から落ち着きなくそわそわとしていた。部屋の中はとても暑かったが、私はそんなことには気が付かず、急いで出かける用意をすませた。鞄の中には辻さんと北杜夫さんの対談を収録した本、『若き日と文学と』が入っていた。数日前、私は浅草に行った折に松屋で行われていた古書まつりに寄って、学術書も文芸書も一緒くたに入れられた雑然とした棚を見ていた。すると一瞬、一冊の本がちらと光ったような気がした。それはごく弱い光で、気のせいだったのかもしれないが、ふとその方向に目をやると、そこにこの本はあったのだった。そして、その日は私の誕生日であり、辻さんが亡くなって10年になろうという日の僅か9日前だった。
私は電車の中でその本を読み進めていた。電車を秋葉原で乗り換えた時にはまだ晴れていたのに、外はすっかり雨になっていた。窓硝子には斜めに切り裂くような鋭い形の水滴がつき、窓外には雑多なビルが曇った灰色の空を突き刺すように建ち並んで、いつにも増して圧迫感のある景色だった。本の中では辻さんと北さんが二人でスイスのトーマス・マンの墓を訪ねた思い出を語っていた。
辻 墓の向こうにすぐチューリッヒ湖が蒼く見えている。裏手にはそれこそ『トニオ・クレーゲル』の庭みたいに、 泉がひたひたと音をたてていた。君は墓の前に歩み寄って、じっと見つめている。ぼくはふと目を湖に向けていた。そのとき、君は突如として、嗚咽し始めた。
北 それ、やめてくれ。それ、ちょっとやめろよ。
辻 君は涙滂沱としてトーマス・マンの墓に跪いて……。
北 それ、ぜんぜん大げさすぎる描写だ。
これから辻さんのお墓を訪ねようとしていた私は、この二人の会話が自分に重なって、辻さんのお墓を前にした自分が、もしかしたら突如として嗚咽し始めてしまうのではないかと思った。そして『辻邦生のために』を読んで辻さんの命日を知り、自分の誕生日に『若き日と文学と』を手に入れ、今ここでこの文章を読んでいるということが、まるで宿命のように繋がったことに驚いていた。
気が付くと電車はもう新宿を超えていて、外の景色はさっきまでとは一変、高い建物は殆ど目に付かず、空が遠くまで見渡せた。雨はますます勢いを増して、上空にはどんよりと雲が垂れ込めていたが、久しぶりに見た空の彼方に私はすっかり心が軽くなった気がした。一度乗り換えをして多磨駅に着くと駅を出た瞬間、急に五感が敏感になって様々なものが、いつも以上に美しく思えた。分厚い雲を抜けて届く光、叩き付けている雨粒の音、湿った町の匂い、そうしたものが突然に、なんともいえない魅力で私に迫って来た。傘を差して歩く私はとてもうきうきしていて、目に入る全てのものが、聞こえてくる全ての音が、本当に快かった。普段であれば出かける時に雨が降っていれば残念な気持ちになるのに、まったく弱まる気配のない雨さえもが、今日は私を歓迎して降っている、そんな風に思えた。
多磨霊園は駅から5分と聞いていたが、雨のためか10分程はかかったろうか。入り口の手前に数軒の花屋があり、私はそこで小さめの花を買った。多磨霊園は想像以上に広く辻さんのお墓を見つけるのに苦労した。何度も案内図を見てはメモして来た辻さんのお墓のある場所を確かめた。舗装された道から墓石の並ぶ未舗装のぬかるんだ小道に入り、一区画置きに出てくる番地を確認しながら歩いていると、次第にその数字がメモして来たものに近づいて来た。私は殆ど駆け出したい気持ちだったが、心を落ち着かせようと深呼吸した。それでも次第に早足になって、ついに目の前に辻さんのお墓を見つけた。私は感動と興奮で何が何やら分からなくなっていた。ただ目の前に辻さんのお墓があり、ここに辻さんが眠っているのだと思った。花を供え手を合わせると、いつまでもこのまま黙祷し続けていられるような気がした。目を閉じていると雨の音は遠のき、ただ無が広がった。しかしその無は虚無ではなく、何かとても暖かい、体温のある無だった。どれくらいの時間が経っただろう。私は再び目を開くと目の前の墓をじっと眺めた。「辻家之墓」と刻まれたその墓碑を見続けていると、辻という文字の“十”の線と線が交わるその中心に、吸い込まれてしまいそうな気がした。
結局私は、トーマス・マンの墓を前にした北杜夫さんのように、嗚咽することはなかったけれど、いつまでも墓前に立って、まるで自分が墓石になってしまたっかのように、そこに立ち尽くしていた。
帰りはそのまま帰宅せずに池袋へ行った。としまふれあい交流サロンというところで行われている展覧会『作家 辻 邦生を知っていますか—美しい日本語で読む目白—』を見ようと思ったのだ。少し古そうなその建物に入ると、目の前に階段があって、その横に現在の催し物がなんであるかを書いた張り紙が出ていた。その案内に従い二階へ上がると、広い事務所風の部屋の一角の狭いスペースに、パネルになった辻さんの大きな笑顔があった。その笑顔が自分とは全く無関係であることははっきりと分かっていたけれど、もし想像の自由を許してもらえるのなら、まるで「墓参りに来てくれてありがとう」と言ってくれているような気がした。
本の運命2009/07/23
先日、浅草に行くと松屋の七階にて古本まつりを開催中だったので、私は失敗した福笑いの顔のように目尻を垂れ下げながら、広い会場内の本棚を端から端まで眺めていたのだが、すると不意に、若いのに勉強して偉いねぇ、という声が右の方から聞こえてきたのだった。私はその時、常にない程の集中力を発揮していたので、近くに人が近づいて来たのに気付いていなかったのだけれど、本棚から顔を上げて右を見ると、沢山の笑い皺を顔に刻んだ老人がこちらを見ていた。その老人は私が気がつくと、自分は歴史が好きなのだ、ということを話しだして、その言葉に相づちを打つ暇も持たせずに続けた。
「織田信長が○×△□、豊臣秀吉が△○×□」という人名以外はよく聞き取れない話しは、その辺りまで戦国時代が好きなのだなと思っていた私を裏切って「ヤマトタケルは○×△□、天皇が△○×□」というものに何の前触れもなく変わり、今度は日本書紀の話しかと思っていると急に「自分の墓は○△□○×で△○×□」というものに変わり、その墓が何やら由緒正しいものである、ということを熱弁しているようだった。殆どの言葉が聞き取れないその老人の話しに私はやがて頭が混乱して来て、どこかで打ち切らねば永遠に続きそうな老人の話しにどこで、なるほど、勉強になりました、と辞すべきか、そのタイミングを計っていた。
やがて老人は歩き出してようやく話しは打ち切りになったのだが、一度打ち切った話しを今度は振り返って話しだしそうになったので、私は何か用事でもあったかのようにその場を離れたのだった。
古本というのは本当に財布の紐が緩むもので、私はあれもこれもと買ってしまいそうになる衝動を抑えて、図書館で借りれそうなものはそちらで借りる、という決まりを心に、手元に置いておきたい本だけを選んだ。文庫本のところなどはあまり真剣に見ていなかったのに、まるで本自体がその存在をアピールしているように目に止まったのは、それが今年間もなく没後十年を迎える大好きな辻邦生さんの本で、その日が自分の誕生日であっただけに偶然とは思えなかった。
夏の別れ〜のちの思いに〜2009/06/28
すっかり夏の暑さが定着して気温は三十度近くまで上がっているので、部屋の中ではずっと扇風機が左右に首を振っているのだが、それを凝と見ていると何かをずっと、いえいえ、と否定しているように見えてきて、私は思わず横に寝そべってみた。すると横に動く扇風機の首がちょうど縦に、うんうん、と頷いているように見えてきて、私は満足して起き上がり、しばらく扇風機の風の行方に合わせて部屋を行ったり来たりしては、散らかし放題の部屋の小物に躓いたりしていたのだが、こうも暑いとそれも長く続かず、私はただうなだれて座り込み、ふう、とため息とも深呼吸ともつかない大きな息を吐き出した。
窓から外を見ると空には山脈のような入道雲が浮かんいて、それからはぐれるようにして小さな雲が街の真上を流れていた。一日中読んでいた本はもうほとんど終わりに差し掛かっていて、一冊の本の読み終わりが、時に親しい人との別れのように寂しく思えるものだ、ということを私は感じていた。その本の読み終わりの寂しさを暑さによる倦怠が手伝って最後の数ページはなかなか読み終わらなかった。そうしているうちに外では日が傾いていき、黄昏時の薄暗い光が電気を点けていない部屋の中で、様々なものの影を長く伸ばして不気味な形に広げていた。私は何となくこうした夏の様子が懐かしく思えて、今ではすっかり水の底に沈殿した澱のように、記憶の底の方に眠っている思い出を蘇らせてみるのだった。
日中の暑い日差しがやわらいで日が暮れ始めると、私は閉じこもっていた家から庭に出てみる。昼の間は何処へ行くのか、全く鳴き声の聞こえなかったヒグラシのはじめの一匹が勇気をふるったように、カナカナカナと鳴き出すと、そのやまびこのようにして続いて沢山の声が聞こえてくる。それは次第に大きくなって途切れのない歌になり、やがて大合唱へと変わっていく。故郷ではヒグラシの声が聞こえだすとそれは昼間の暑さが弱まった証拠で、夕方から夜にかけて涼しい微風が吹いてくる合図だった。私はよくそんな時間を選んで散歩をしたりしたものだった。
明かりを付けていない部屋に、窓の外から差し込んでくる弱々しい光が、ヒグラシの鳴き始める時刻のものと似ていたので、私は思わず耳を澄ましていたのだけれど、東京ではヒグラシの声は全く聞こえてこなかった。手に取り直した本をパラパラとめくっていると本はついに終わってしまい、それがとても寂しい別れに思えた。そんな風に思えたのは、その本が作者の最後の文章だったからだろう。
と題されたこの本は一九九八年の十月から九九年の九月まで日本経済新聞に掲載されたものをまとめたもので、作者の辻邦生は九九年の七月に没しているため、死後に発表された文章もあるのだが、この本の中の辻さんは他のどの作品よりもいきいきと生きていて、私はどうしてもこの本を読み終えるのに戸惑わざるを得なかったのである。大学生時代から留学時代を経て文学者として立っていくまでの、言わば青春の時代を描いたこの作品は、これまでのどのエッセイよりも辻さんの人生が正直に書かれていて—所々に創作が混じっているとしても—私にとって憧れでしかなかった人物が、やはりスーパーマンのような超人ではなくて一人の人間なのだと感じさせてくれた。それでも、いろいろな場所でまるで導かれるように文学に接近していく様子は、やはり何かに選ばれた人なのだと思ってしまうのだけれど。
最終回の原稿を執筆している途中で亡くなってしまったので、この本は本当は終わっていないのだけれど、そのせいか、私はこの続きを考えている辻さんが永遠に存在しているような気がしている。
図書館の冒険〜ユリアと魔法の都〜2009/06/20
こちらに出て来て一年半も経つのに図書館に行くのは初めてで、それというのも私は「本は内容を読めれば良い」という割り切り方は出来ず、所有していたい、という気持ちが強くて、借りて読むという行為に少しばかり躊躇いがあったからなのだが、最近読みたい本は手に入らないものばかりで、神保町や高田馬場のような古書店街に行き、目的の本があるかどうかも分からぬまま探し続ける時間的余裕もないので、とりあえず近所の図書館に行ってみることにしたのだった。
ずっと昔、子どもだった頃に学校の図書室が好きだった。そこに入るとインクの匂いがして、その匂いは何故かとても落ち着く匂いだった。しかしそこには活版刷りの古い本などがあるわけではなかったので、本自体が放つインクの匂いというよりは、本の裏表紙を開くと挟まれている貸し出しカードに押すための判子のインクの匂いが、受付のカウンターから漂ってくるのだった。
本を差し出すと貸し出し日と返却日の日付が入った判が貸し出しカードに押され、私はその判が押された瞬間から始まる返却日までの時間が何か特別な時間のような気がした。裏表紙を開いて貸し出しカードをよく見ると、前に借りた人の名前が書いてあって、その人物までが、本の登場人物と同じくらい私の想像の中で無限に膨らんだ。
図書館は思っていたよりもずっと大きくて立派だった。沢山の人がいる気配がするのに静まりかえった館内からは、学校の図書室のようなインクの匂いはしなかった。本は全てバーコードで管理されていてそんなものは必要ないのだった。
借りたい本は何冊か決まっていたので検索機で検索すると、ほとんどが閉棚にあって係員に頼まなくてはならなかった。二十分ほどして係員が出して来てくれた本を受付に差し出すと、ピッ、ピッ、という機械的な音で貸し出し作業は終わってしまい、私は遠き日の図書室の思いでを重ねながら来たこの図書館が、少しばかり寂しく思え、無いとは知りつつも借りた本の裏表紙を開いてみるのだった。
思えば子どもの頃、図書室は冒険の舞台だった。そこから何所へでもゆけたのだ。恐竜のいる時代、無人島、夢の国、時代も場所も無関係に数多の扉があって、そのすべてを開けてみたい気持ちでいっぱいだった。
子どもは冒険をするものだ。図書館の帰りの電車で読み始めた本——には、これからまさに冒険をする子どもが描かれていた。山奥のダム工事場近くの村から、おじいさまの住む都会まで、ひとりで行くことになったユリアは電車で居眠りをしてしまう、すると目覚めたとき着いたのは大人のいない魔法の都だった。そこでは子どもたちはみんな働いていて、市議会の議員もみんな子どもなのだった。お金は銀行に行けばただでもらえ、仕事は楽しむためにするもの、欲しいものは念じれば手に入る。そんな幸福な街で、しかしユリアは何かが欠けていると思う。その正体を突き止めるためにユリアは友達たちと冒険する。
全てが何不自由無く手に入り、幸福な筈なのに何かが欠けている、それは以前読んだという作品でも辻邦生は描いていたように思う。それは決して物語りなどではなくて、現実に人々の感じる幸福感といったものが、生命の本質的なものから文明によって少しずつ置き換えられてしまったのではないか、この二作品以外にも辻邦生の作品はいつもそう語っているように思う。