本の運命2009/07/23
先日、浅草に行くと松屋の七階にて古本まつりを開催中だったので、私は失敗した福笑いの顔のように目尻を垂れ下げながら、広い会場内の本棚を端から端まで眺めていたのだが、すると不意に、若いのに勉強して偉いねぇ、という声が右の方から聞こえてきたのだった。私はその時、常にない程の集中力を発揮していたので、近くに人が近づいて来たのに気付いていなかったのだけれど、本棚から顔を上げて右を見ると、沢山の笑い皺を顔に刻んだ老人がこちらを見ていた。その老人は私が気がつくと、自分は歴史が好きなのだ、ということを話しだして、その言葉に相づちを打つ暇も持たせずに続けた。
「織田信長が○×△□、豊臣秀吉が△○×□」という人名以外はよく聞き取れない話しは、その辺りまで戦国時代が好きなのだなと思っていた私を裏切って「ヤマトタケルは○×△□、天皇が△○×□」というものに何の前触れもなく変わり、今度は日本書紀の話しかと思っていると急に「自分の墓は○△□○×で△○×□」というものに変わり、その墓が何やら由緒正しいものである、ということを熱弁しているようだった。殆どの言葉が聞き取れないその老人の話しに私はやがて頭が混乱して来て、どこかで打ち切らねば永遠に続きそうな老人の話しにどこで、なるほど、勉強になりました、と辞すべきか、そのタイミングを計っていた。
やがて老人は歩き出してようやく話しは打ち切りになったのだが、一度打ち切った話しを今度は振り返って話しだしそうになったので、私は何か用事でもあったかのようにその場を離れたのだった。
古本というのは本当に財布の紐が緩むもので、私はあれもこれもと買ってしまいそうになる衝動を抑えて、図書館で借りれそうなものはそちらで借りる、という決まりを心に、手元に置いておきたい本だけを選んだ。文庫本のところなどはあまり真剣に見ていなかったのに、まるで本自体がその存在をアピールしているように目に止まったのは、それが今年間もなく没後十年を迎える大好きな辻邦生さんの本で、その日が自分の誕生日であっただけに偶然とは思えなかった。