図書館の冒険〜ユリアと魔法の都〜2009/06/20
こちらに出て来て一年半も経つのに図書館に行くのは初めてで、それというのも私は「本は内容を読めれば良い」という割り切り方は出来ず、所有していたい、という気持ちが強くて、借りて読むという行為に少しばかり躊躇いがあったからなのだが、最近読みたい本は手に入らないものばかりで、神保町や高田馬場のような古書店街に行き、目的の本があるかどうかも分からぬまま探し続ける時間的余裕もないので、とりあえず近所の図書館に行ってみることにしたのだった。
ずっと昔、子どもだった頃に学校の図書室が好きだった。そこに入るとインクの匂いがして、その匂いは何故かとても落ち着く匂いだった。しかしそこには活版刷りの古い本などがあるわけではなかったので、本自体が放つインクの匂いというよりは、本の裏表紙を開くと挟まれている貸し出しカードに押すための判子のインクの匂いが、受付のカウンターから漂ってくるのだった。
本を差し出すと貸し出し日と返却日の日付が入った判が貸し出しカードに押され、私はその判が押された瞬間から始まる返却日までの時間が何か特別な時間のような気がした。裏表紙を開いて貸し出しカードをよく見ると、前に借りた人の名前が書いてあって、その人物までが、本の登場人物と同じくらい私の想像の中で無限に膨らんだ。
図書館は思っていたよりもずっと大きくて立派だった。沢山の人がいる気配がするのに静まりかえった館内からは、学校の図書室のようなインクの匂いはしなかった。本は全てバーコードで管理されていてそんなものは必要ないのだった。
借りたい本は何冊か決まっていたので検索機で検索すると、ほとんどが閉棚にあって係員に頼まなくてはならなかった。二十分ほどして係員が出して来てくれた本を受付に差し出すと、ピッ、ピッ、という機械的な音で貸し出し作業は終わってしまい、私は遠き日の図書室の思いでを重ねながら来たこの図書館が、少しばかり寂しく思え、無いとは知りつつも借りた本の裏表紙を開いてみるのだった。
思えば子どもの頃、図書室は冒険の舞台だった。そこから何所へでもゆけたのだ。恐竜のいる時代、無人島、夢の国、時代も場所も無関係に数多の扉があって、そのすべてを開けてみたい気持ちでいっぱいだった。
子どもは冒険をするものだ。図書館の帰りの電車で読み始めた本——には、これからまさに冒険をする子どもが描かれていた。山奥のダム工事場近くの村から、おじいさまの住む都会まで、ひとりで行くことになったユリアは電車で居眠りをしてしまう、すると目覚めたとき着いたのは大人のいない魔法の都だった。そこでは子どもたちはみんな働いていて、市議会の議員もみんな子どもなのだった。お金は銀行に行けばただでもらえ、仕事は楽しむためにするもの、欲しいものは念じれば手に入る。そんな幸福な街で、しかしユリアは何かが欠けていると思う。その正体を突き止めるためにユリアは友達たちと冒険する。
全てが何不自由無く手に入り、幸福な筈なのに何かが欠けている、それは以前読んだという作品でも辻邦生は描いていたように思う。それは決して物語りなどではなくて、現実に人々の感じる幸福感といったものが、生命の本質的なものから文明によって少しずつ置き換えられてしまったのではないか、この二作品以外にも辻邦生の作品はいつもそう語っているように思う。