斜陽館2011/07/23


福島に五泊六日で帰省する。近所のスーパーに買物に行ったら雀のなる木があった。美味いものを食べ過ぎて我が人生史上で一番太ってしまった。祖父母も元気で良かった。おばあちゃんの持たせてくれたオミヤがとても美味しかった。
行きつけのラーメン屋のおじさんは相変わらずジャージ姿で驚くほど美味いラーメンを作っていた。久しぶりに行ったコーヒ豆屋のマスターは親になっても相変わらず己の美学を磨き続けていた。そして父の同級生の開いた喫茶店にはオーディオマニアが集まり、洗練されたオーディオの話を土着性の強い言葉で話し続けていた。
「JBL(のスピーカー)あっぺなっ!? あれをメートル、ウン万円のケーブルで鳴らしたら最高だっペよ!!」
誰もお店の素晴らしいオーディオ装置から鳴らされる音楽は聴いていなかった。

帰りに佐野のアウトレットでクラークスの靴を買う。買うまでとても迷った。しかし初めてこんなイイ靴を買ってご機嫌。

約一週間ぶりに会うデュークはしつこく甘えてきた。そして疲れて眠る姿。ちょっとお腹がメタボな感じが…。
お気に入りだったグンゼのパンツの製造が終わっていた。私が気に入ったものは消え行く定めなのか…。ネットで在庫限りを買い占める。そんな師走。
枕元に積み上げた本。以前は一冊ずつ読んでいたけれど、最近は2、3冊ずつの同時進行。購入や図書館で借りて来る速度に読む速度が追い付かないのが最近の悩みです。
先々週購入をためらった本を、やはりどうしても手に入れたくなり再び神保町の風光書房へ。書店内に入ると急に腹痛が起こり、その本のあった場所の記憶が曖昧だったために脂汗を流しながら本棚中を探した。無くなってしまったかと思ったがようやく見つけて安堵。
本との出会いには二種類がある。その場で運命を感じてしまうものと、読んでいくうちにその本と出会って良かったと思わされるもの。今日買った本は前者で、ぱっとページを開いた瞬間に、この本は自分にとって大切な本になるに違いないと思った。そう思ったのに最初に買わなかったのはこの本が古書であるのに2000円という高値だったため思わず怯んでしまったのだった。しかし時間が経つにつれて手に入れなかったことを後悔しだし今日買いに行くことになった。山室静『植物的生活から』。ついで300円だった庄野潤三『丘の明り』を購入。
ところで読んでいくうちにその本と出会って良かったと思わされたのはこれも神保町で手に入れた渡辺一夫『人間模索』。この本は本当に座右の書と言ってもいい。自分の考え方に大きく影響を与えてくれた。この本も薄い文庫なのに800円もした。
帰りに蕎麦を食べて、電車を北千住で下車し東急ハンズで便箋と封筒、それからずっと欲しかったマイ箸を買った。最後みはしでクリームあんみつを食べる。みはしのクリームあんみつは本当に良く出来ていると思う。ソフトクリームとあんこと黒蜜という個性派を見事に調和させている。
六日、神保町にて風光書房という古書店に行く。
その後訪れた三省堂にて希少本フェアをやっていた。
合わせて五冊の本を買った。
ピエール・カミ/エッフェル塔の潜水夫(三省堂、十五歳位の時から探していた本)
小説への序章/辻邦生(三省堂、欲しいと思っていた本。見つけて嬉しかった)
渡辺一夫/人間模索(三省堂、文庫なのに八百円で高かったけれど、渡辺一夫さんの本なので購入)
水中花/生島遼一(風光書房、偶然手に取った本)
マルグリット・デュラス/木立の中の日々(風光書房、堀江敏幸さんの『彼女のいる背表紙』に紹介されていた)

今月29日に亡くなって10年になる辻邦生さんのお墓に行って来ました。辻さんのお墓は多磨霊園にあって、多磨霊園には他にも沢山の著名人が眠っているので訪ねたいお墓をリストアップして行ったのですが、大雨で辻さんのお墓にしか行けませんでした。しかしそのせいか、逆に感動もひとしおでした。それは何故か僕には運命のように感じられました。天気がよくて色々な方のお墓を訪ねることが出来たら、ここまで感動することはなかったでしょう。
行きの電車の中で辻さんと、北杜夫さんの対談の本『若き日と文学と』を読んでいたら、丁度二人がスイスのトーマス・マンのお墓を訪ねる場面で、墓前で北さんが嗚咽していたという話しが出て来て、これから辻さんのお墓参りにいく自分に重ねてしまいました。

電車が多磨駅に着くとお腹が空いていて、霊園に行く途中にあったコンビニでおにぎりを買って食べました。レジのおばさんに「多磨霊園はどちらですか?」と尋ねると親切に教えてくれました。霊園が近づいてくるにつれて僕は早足になっていました。雨に濡れるのも気にせず走り出したい気持ちでした。入り口の近くには数軒の花屋さんがあり、そこで小さめの花を買いました。
多磨霊園はとても広く、大雨の中、辻さんのお墓を探して歩いたらびしょ濡れになってしまいました。ようやく見つけたその墓前で彼女に「この下に辻さんが居るよ」と言われたら、感動しすぎて嗚咽はしなかったけれど、思わず叫んでしまいました。辻さんのお墓の裏手が丁度空いていて「僕は将来ここに入る!」などと言って彼女に笑われました。花を供え手を合わせるといつまでもそうして、黙祷し続けていられる気がしました。再び目を開いて墓碑を見ると、辻という文字の“十”の線と線が交わるその中心に吸い込まれてしまいそうな不思議な感覚がしました。

帰りに池袋で行われている『作家 辻 邦生を知っていますか—美しい日本語で読む目白—』(09年6月24日〜09年8月6日まで)を見て来ました。としまふれあい交流サロンという建物に入り二階へ階段を上っていくと、事務所風の部屋の一角の狭いスペースにパネルになった辻さんの大きな笑顔がありました。そこには直筆原稿の複製や、辻さんが描いた落書きがあって、中でもその落書き(福永武彦氏の似顔絵)は何とも微笑んでしまうものでした。
ここ数ヶ月異常にトイレが近いと思って泌尿器科へ行ってみると、なんとも拷問的な検査をされるので驚いてしまいました。まず病院に着いた時点で既にもよおしていたのでトイレに入り、待ち時間にもう一度行く。この時点でおそらく20分もないと思うのでかなり近いのですが、診察室に入る時にはまたトイレに行きたくなっていました。とりあえず我慢して診察室に入り、そのことを伝えると「それではお水をお飲みになって、限界まで我慢してみて下さい」と言われました。
はい、分かりました、と言ったもののこれが結構つらい。待合室のテレビに消音で映されているセロのマジックと時計とを交互に見ながら耐える。そろそろ良いかなと思って看護婦さんにいうと「限界ですか?」と訊かれるので、う…、そういわれるとまだいけそうな気もするのですが、いや、でも結構きついです、といったことを伝えると「それではもう少し限界になるまで我慢して下さい」と言われる。ええ!? まだダメなの? そうして耐えること30分くらい。不思議な装置で何かを計測されました。
最終的にエコーをとられて「膀胱が通常の二倍くらいになっていますね」と言われました。そんなに心配はいらないようなのですが驚きました。