辻邦生の墓所に行こうと思ったのは、たまたま図書館で借りた辻さんの奥さん、佐保子さんの本を読んだからだった。
『辻邦生のために』と題されたこの本は、辻さんが亡くなられてから佐保子さんが書かれた文章をまとめたもので、ずっと遠い偉大な存在として見ていた辻さんが、そこでは他者の客観的な視点で描かれていて、初めて人間らしく感じさせてくれた作品なのだが、そこでふと目に留まったのは辻さんの命日だった。1999年7月29日。この本を読んだのは6月の下旬だったが、それは間もなく没後10年になろうという時であった。
私にとって、初めて本を読んだ時には既に他界していた辻さんは、生死を超えた精神的存在として認識され始めていた。そう言うと信仰の対象として神格化してしまっているように聞こえるかもしれないけれど、というよりはもっと自然に、吹く風や、そよぐ木々の葉に、次第に流れて小さくなっていく雲に、そういった現象の中に、辻さんはいるような気がしていた。そして現在でも時々そう感じてしまうが、『辻邦生のために』で描かれている辻さんは生身で、生命を謳歌していて、とても人間臭かった。佐保子さんの文章の中からは辻さんの笑顔が見え、笑い声が聞こえてくるようだった。そして今では途切れてしまったその笑い声が、一人の作家の不在というのではなく、一人の人間の不在としてとても淋しく思えた。私はそう思うとどうしても辻邦生の墓を訪ねたいという気持ちになっていた。
前日眠りについてからあっという間に朝になった気もするし、ゆっくり眠った気もするのだが、その日はいつになくパッと目が覚めた。私はまだ目を開く前の、意識がぼんやりと自分の中に覚めて来た瞬間から落ち着きなくそわそわとしていた。部屋の中はとても暑かったが、私はそんなことには気が付かず、急いで出かける用意をすませた。鞄の中には辻さんと北杜夫さんの対談を収録した本、『若き日と文学と』が入っていた。数日前、私は浅草に行った折に松屋で行われていた古書まつりに寄って、学術書も文芸書も一緒くたに入れられた雑然とした棚を見ていた。すると一瞬、一冊の本がちらと光ったような気がした。それはごく弱い光で、気のせいだったのかもしれないが、ふとその方向に目をやると、そこにこの本はあったのだった。そして、その日は私の誕生日であり、辻さんが亡くなって10年になろうという日の僅か9日前だった。
私は電車の中でその本を読み進めていた。電車を秋葉原で乗り換えた時にはまだ晴れていたのに、外はすっかり雨になっていた。窓硝子には斜めに切り裂くような鋭い形の水滴がつき、窓外には雑多なビルが曇った灰色の空を突き刺すように建ち並んで、いつにも増して圧迫感のある景色だった。本の中では辻さんと北さんが二人でスイスのトーマス・マンの墓を訪ねた思い出を語っていた。
辻 墓の向こうにすぐチューリッヒ湖が蒼く見えている。裏手にはそれこそ『トニオ・クレーゲル』の庭みたいに、 泉がひたひたと音をたてていた。君は墓の前に歩み寄って、じっと見つめている。ぼくはふと目を湖に向けていた。そのとき、君は突如として、嗚咽し始めた。
北 それ、やめてくれ。それ、ちょっとやめろよ。
辻 君は涙滂沱としてトーマス・マンの墓に跪いて……。
北 それ、ぜんぜん大げさすぎる描写だ。
これから辻さんのお墓を訪ねようとしていた私は、この二人の会話が自分に重なって、辻さんのお墓を前にした自分が、もしかしたら突如として嗚咽し始めてしまうのではないかと思った。そして『辻邦生のために』を読んで辻さんの命日を知り、自分の誕生日に『若き日と文学と』を手に入れ、今ここでこの文章を読んでいるということが、まるで宿命のように繋がったことに驚いていた。
気が付くと電車はもう新宿を超えていて、外の景色はさっきまでとは一変、高い建物は殆ど目に付かず、空が遠くまで見渡せた。雨はますます勢いを増して、上空にはどんよりと雲が垂れ込めていたが、久しぶりに見た空の彼方に私はすっかり心が軽くなった気がした。一度乗り換えをして多磨駅に着くと駅を出た瞬間、急に五感が敏感になって様々なものが、いつも以上に美しく思えた。分厚い雲を抜けて届く光、叩き付けている雨粒の音、湿った町の匂い、そうしたものが突然に、なんともいえない魅力で私に迫って来た。傘を差して歩く私はとてもうきうきしていて、目に入る全てのものが、聞こえてくる全ての音が、本当に快かった。普段であれば出かける時に雨が降っていれば残念な気持ちになるのに、まったく弱まる気配のない雨さえもが、今日は私を歓迎して降っている、そんな風に思えた。
多磨霊園は駅から5分と聞いていたが、雨のためか10分程はかかったろうか。入り口の手前に数軒の花屋があり、私はそこで小さめの花を買った。多磨霊園は想像以上に広く辻さんのお墓を見つけるのに苦労した。何度も案内図を見てはメモして来た辻さんのお墓のある場所を確かめた。舗装された道から墓石の並ぶ未舗装のぬかるんだ小道に入り、一区画置きに出てくる番地を確認しながら歩いていると、次第にその数字がメモして来たものに近づいて来た。私は殆ど駆け出したい気持ちだったが、心を落ち着かせようと深呼吸した。それでも次第に早足になって、ついに目の前に辻さんのお墓を見つけた。私は感動と興奮で何が何やら分からなくなっていた。ただ目の前に辻さんのお墓があり、ここに辻さんが眠っているのだと思った。花を供え手を合わせると、いつまでもこのまま黙祷し続けていられるような気がした。目を閉じていると雨の音は遠のき、ただ無が広がった。しかしその無は虚無ではなく、何かとても暖かい、体温のある無だった。どれくらいの時間が経っただろう。私は再び目を開くと目の前の墓をじっと眺めた。「辻家之墓」と刻まれたその墓碑を見続けていると、辻という文字の“十”の線と線が交わるその中心に、吸い込まれてしまいそうな気がした。
結局私は、トーマス・マンの墓を前にした北杜夫さんのように、嗚咽することはなかったけれど、いつまでも墓前に立って、まるで自分が墓石になってしまたっかのように、そこに立ち尽くしていた。
帰りはそのまま帰宅せずに池袋へ行った。としまふれあい交流サロンというところで行われている展覧会『作家 辻 邦生を知っていますか—美しい日本語で読む目白—』を見ようと思ったのだ。少し古そうなその建物に入ると、目の前に階段があって、その横に現在の催し物がなんであるかを書いた張り紙が出ていた。その案内に従い二階へ上がると、広い事務所風の部屋の一角の狭いスペースに、パネルになった辻さんの大きな笑顔があった。その笑顔が自分とは全く無関係であることははっきりと分かっていたけれど、もし想像の自由を許してもらえるのなら、まるで「墓参りに来てくれてありがとう」と言ってくれているような気がした。
















