辻邦生さんのお墓を訪ねて

多磨霊園

 今月29日に亡くなって10年になる辻邦生さんのお墓に行って来ました。辻さんのお墓は多磨霊園にあって、多磨霊園には他にも沢山の著名人が眠っているので訪ねたいお墓をリストアップして行ったのですが、大雨で辻さんのお墓にしか行けませんでした。しかしそのせいか、逆に感動もひとしおでした。それは何故か僕には運命のように感じられました。天気がよくて色々な方のお墓を訪ねることが出来たら、ここまで感動することはなかったでしょう。

 行きの電車の中で辻さんと、北杜夫さんの対談の本『若き日と文学と』を読んでいたら、丁度二人がスイスのトーマス・マンのお墓を訪ねる場面で、墓前で北さんが嗚咽していたという話しが出て来て、これから辻さんのお墓参りにいく自分に重ねてしまいました。

辻家の墓

 電車が多磨駅に着くとお腹が空いていて、霊園に行く途中にあったコンビニでおにぎりを買って食べました。レジのおばさんに「多磨霊園はどちらですか?」と尋ねると親切に教えてくれました。霊園が近づいてくるにつれて僕は早足になっていました。雨に濡れるのも気にせず走り出したい気持ちでした。入り口の近くには数軒の花屋さんがあり、そこで小さめの花を買いました。
 多磨霊園はとても広く、大雨の中、辻さんのお墓を探して歩いたらびしょ濡れになってしまいました。ようやく見つけたその墓前で彼女に「この下に辻さんが居るよ」と言われたら、感動しすぎて嗚咽はしなかったけれど、思わず叫んでしまいました。辻さんのお墓の裏手が丁度空いていて「僕は将来ここに入る!」などと言って彼女に笑われました。花を供え手を合わせるといつまでもそうして、黙祷し続けていられる気がしました。再び目を開いて墓碑を見ると、辻という文字の“十”の線と線が交わるその中心に吸い込まれてしまいそうな不思議な感覚がしました。

辻邦生

 帰りに池袋で行われている『作家 辻 邦生を知っていますか—美しい日本語で読む目白—』(09年6月24日〜09年8月6日まで)を見て来ました。としまふれあい交流サロンという建物に入り二階へ階段を上っていくと、事務所風の部屋の一角の狭いスペースにパネルになった辻さんの大きな笑顔がありました。そこには直筆原稿の複製や、辻さんが描いた落書きがあって、中でもその落書き(福永武彦氏の似顔絵)は何とも微笑んでしまうものでした。

サンシャイン国際水族館

サンシャイン国際水族館

先日、水族館に行って来ました :razz:

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春の庭園散歩

桜の蜜を吸うメジロ

ぶらりと越谷市の花田苑とこしがや能楽堂へ行きました。

上野公園にはすっかり春が居座っているように感じたのだけれど、花田苑では春がまだ訪れたばかりという印象で、開花の早いしだれ桜はよく咲いていましたが、ソメイヨシノはまだ固いつぼみのまま、もう少し春が自分の近くに来るのを待っているようでした。すでに開花したしだれ桜の樹には何羽ものメジロが集まって小さなくちばしを花に差し込んでは蜜を吸っていました。

雪柳

桜もそうなのだけれど雪柳が真っ白に咲いて、風に揺れているのを見ると僕は、春だ、と思います。沢山の花が寄り集まって咲いている姿は、その小さな花一つ一つが何かとても強い力を持っているように感じて、雪柳の生命力を間近に感じるようです。

ミツマタ

紙幣の原料として使われるミツマタは花がすっかり白くなって綿毛のようにも見えました。

能楽堂

隣接するこしがや能楽堂を見学して、能面に魅せられました。

若女

若女

般若

般若

—嫉妬の度が極めて強く、鬼のような形相になった女性。良く見ると女性的な眉が描いてある—
般若って女性だったんだ、と少し驚きました。以前から能を見てみたいと思っていたのだけれど、さらに興味が湧きました。

帰省

猪苗代のカモ2

猪苗代のカモ1

お正月に帰らなかったので今頃帰省して来ました。
猪苗代湖の鴨たちに癒されました。

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死への抗い

あがりこ大王

鳥海山のブナ林を歩いていると、人の身体の内部がえぐられ、
ドロドロした物質と生物の間のようになった奇形ブナが立ち並んでいて、
その様子に私は少し吐き気を催していた。
それは強い生命力でそそり立っていたが、同時に死について深く考えさせられるものだった。
私は目眩のするような奇形ブナの姿に自分の生と死を投影していたのだ。
自分はこれほどまでに必死で生き、死に抗っているだろうか?
人々は時に死を認識しているためか、死を受け入れ、いつか来るものとして覚悟している。
しかしそれは本当は覚悟なのではなく諦めなのではないか、私は奇形ブナを目の前にしてそんな風に考えていた。
それほどまでに奇形ブナは生に執着し、死をあらん限り遠ざけようとしていた。
大地を鷲掴みにして水を吸い上げ、他の木々よりもより空を望み、
既に数百年を過ごして来たのにも関わらず、まだ生きたりないとでもいうように空高く伸びていた。

旅の一番最初に見たものがそんなものだったためか、
私はそれから見る全てのものが「生と死」を主題にして見えてくるように思えた。
それはとても腕の良い職人が作った眼鏡のように、
あらゆるものの生と死のより根源的な部分をくっきりと見えるようにしていた。
高地では既に始まっていた紅葉も、これから始まる冬を前に燃えるように赤々とし、
木々の生の証として山々に広がっていた。

薄暗くなって来た山道を音もなくフクロウが横切って行った。
すぐ近くから聞こえて来たクマゲラの木を叩く音が、トントントンと山々に鳴り響いていくと、私はふと森に一体化してしまっていたような錯覚から覚め無我夢中で歩いていた。