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	<title>funny sunday &#187; 読書</title>
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	<description>自作の絵本や小説、映像を公開しています。</description>
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		<title>季節のシーソー〜正弦曲線〜</title>
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		<pubDate>Mon, 28 Sep 2009 16:46:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo</dc:creator>
				<category><![CDATA[散文]]></category>
		<category><![CDATA[読書]]></category>
		<category><![CDATA[堀江敏幸]]></category>

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　季節はまるで子どもの頃遊んでいたシーソーのように変化していく。一方が足で地面を蹴って重みの支点からずれると、すっと持ち上がり、また一方が足で地面を蹴ると、そちらがすっとが持ち上がる。そんな遊び方に飽きるとお互いに足を [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://amazon.co.jp/o/ASIN/4120040372/funnysunday-22/ref=nosim"><img src="http://images.amazon.com/images/P/4120040372.09._PC_OU09_SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="正弦曲線"></a></p>
<p>　季節はまるで子どもの頃遊んでいたシーソーのように変化していく。一方が足で地面を蹴って重みの支点からずれると、すっと持ち上がり、また一方が足で地面を蹴ると、そちらがすっとが持ち上がる。そんな遊び方に飽きるとお互いに足を浮かせたまま平均を保ち、シーソーが傾いてしまわないよう静止させてみるのだが、これがなかなか難しく、細やかな体重移動を少しでも間違うと、シーソーはすぐに一方へ傾き始める。しかしほんの少しの傾きならばまだ修復の余地はある。けれどその危うい重みの支点からついにずれてしまうと、シーソーはいとも簡単に傾いてこの遊びは終了となってしまう。季節の変わり目はまるでこの遊びのようではないか。ほんの少し夏が秋へと傾いたかと思うと、今度は秋が夏へと傾いていく。その繰り返しが何度か行われた後、ついには秋が、どすん、と音を立てて着地する。そして再びシーソーを漕ぎだそうと、地面を蹴ってみてももう相手側は不在で、どうあがいても、自分が浮き上がることはないのである。<br />
　私は子どもの頃、サッカーや野球という運動よりも、地味な遊具に夢中になっていた。そして一瞬の無重力を感じさせてくれるシーソーは中でもとりわけ好きな遊具だったのだが、周囲の友人は初めは快く付き合ってくれるものの、校庭でサッカーが始まったりすると、途端に私を置いてけぼりにしてそちら行ってしまうのだった。相手のいなくなったシーソーの孤独感は切ないものである。いくら地面を蹴ってみてもそこに無重力の快感は生まれず、自分の重みのみが強調されて行くばかりだ。この頃は夏が去り、秋はこの孤独を噛み締めているのではないだろうか。<br />
　シーソーの動きは無重力も生むが、その動きは0を軸にしてプラス1とマイナス1の間を行ったり来たりする、サインウェーブ、正弦曲線のようでもある。婦人公論に約二年渡って連載された堀江敏幸さんの『正弦曲線』の中で堀江さんは「なにをやっても、一定の範囲で収まってしまうのをふがいなく思わず、むしろその窮屈さに可能性を見いだし、夢想をゆだねてみること。正弦曲線とは、つまり、優雅な袋小路なのだ」と述べている。絶えず変化のない状況ではあるけれど、しかし直線的に変化しないのではない、一定の降り幅を行ったり来たりする、思考の、生活の、人生のバイオリズム。その曲線に身を委ねて書かれたこの作品は、著者特有の浮遊感のある文章によって、とても心地よいテンポで進んでいく。絶えず同じ幅で揺れながら続いていく正弦曲線はシーソーのような無重力さえ生むのだ。</p>
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		<title>言葉と抑揚〜文章読本〜</title>
		<link>http://www.funnysunday.com/blog/essay/1119/</link>
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		<pubDate>Fri, 11 Sep 2009 18:23:58 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo</dc:creator>
				<category><![CDATA[散文]]></category>
		<category><![CDATA[読書]]></category>
		<category><![CDATA[中村真一郎]]></category>

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		<description><![CDATA[中村真一郎『文章読本』
　口から出て来る音がどのようにして意味を持ち始めて言葉として機能しだしたのか、きっと初めは幾通りかの抑揚があっただけに違いない。しかしそれは言葉というよりは他の動物たちも使っている鳴き声とさほど変 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://amazon.co.jp/o/ASIN/4101071039/funnysunday-22/ref=nosim">中村真一郎『文章読本』</a></p>
<p>　口から出て来る音がどのようにして意味を持ち始めて言葉として機能しだしたのか、きっと初めは幾通りかの抑揚があっただけに違いない。しかしそれは言葉というよりは他の動物たちも使っている鳴き声とさほど変わらぬものだったろう。しかし我々人間の祖先は、そのいく通りかの抑揚で仲間に対して迫り来る危険を伝え、己の喜怒哀楽を伝え、そして時に愛を伝えたことだろう。文章というものは言葉の成立と密接に関係している。なぜなら言葉が記号化されたものが文字であり、それを連ねたものが文章だからだ。しかし言葉と文章はそれほど単純に寄り添ってはいない。時に我々の表現が一人歩きし始めると、それを記すためであるはずの文章は、その役割を担えなくなってしまう時がある。日本語の貧しい語彙を補うため漢語を多用した文語体という難解な文章と、直接的な気持ちを表現する言葉との間に広がっていた溝はその良い例ではないだろうか。二葉亭四迷が口語体で文章を書くという行動に踏み切らなければ、明治の言文一致運動は起こらなかっただろうか。しかし文章が言葉を記すものである以上、双方間の溝は埋められなければならず、やはり何か同様の結果をもたらすきっかけは現れたのかもしれない。<br />
　中村真一郎の『文章読本』は口語文が形作られて行く過程が、明治から現代にいたる作家の文章を例に解りやすく解説されていて、二葉亭四迷を始め夏目漱石や森鴎外がその基礎を築き、田山花袋や島崎藤村といった自然主義の人々がそこに客観性を与え、白樺派によって主観性を獲得していく、そんな過程が紹介されている。そして現在でも文章は変化し続けているのだということを教えてくれる。<br />
　現在我々は日常的にメールのやり取りなどをするけれど、そこに記される言葉はどの程度自分の感情を相手に伝えられているのだろう。今程文章が気軽に相手に送れるようになると、思ったことを書いて送る、ということになりがちで、考えたことを書く、という風にはなりにくいかもしれない。例えば「テレビが面白かった」という言葉は自分が感じたことを率直に伝えただけで、そこに自分なりの考えがあるわけではない。メールのように気軽に相手に文章が送れると、どうしてもその言葉自身が軽くなってしまい、意味が希薄になっていくのかもしれない。それは言葉を文字にしただけで文章とは異質のものだ。文章は単純に言葉の記述をするだけのものではなくて、考えを示すものでもある。言葉は本来「感じる、考える、話す」という順番で口から出るもので、しかし現在では「感じる、話す」というものになってしまいがちだ。そしてメールのようなものの発達で文章もそれと同じになってきているのではないだろうか。もちろんコミュニケーションのためにわざわざ「感じる、考える、話す」という順序を踏む必要は必ずしもないかもしれないけれど、幾通りかしかなかった少ない抑揚で愛を伝えていた時代と、愛を伝える言葉がきちんとある現代とでは、どちらがより相手にそれを伝え得るのか、言葉を獲得した人間としてはやはりその「いく通りかの抑揚」には負けられないと思う。</p>
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		<title>品々を結ぶもの〜もののはずみ〜</title>
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		<pubDate>Wed, 09 Sep 2009 15:07:49 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo</dc:creator>
				<category><![CDATA[読書]]></category>
		<category><![CDATA[堀江敏幸]]></category>

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		<description><![CDATA[
　欲がないせいか、それとも始終金欠に喘いでいるせいか、衝動的に何かを買ってしまう、ということはほとんどないのだが、唯一の例外は古書の類いで、こればっかりはどんなに切り詰めた生活を送っていたとしても、出会ってしまったが最 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://amazon.co.jp/o/ASIN/4048839241/funnysunday-22/ref=nosim"><img src="http://images.amazon.com/images/P/4048839241.09._PC_OU09_SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="もののはずみ" /></a></p>
<p>　欲がないせいか、それとも始終金欠に喘いでいるせいか、衝動的に何かを買ってしまう、ということはほとんどないのだが、唯一の例外は古書の類いで、こればっかりはどんなに切り詰めた生活を送っていたとしても、出会ってしまったが最後、財布が空になってしまおうと購入してしまうのである。だから収集家やコレクターと呼ばれる人たちの気持ちは何となく想像出来る。しかし収集家やコレクターと呼ばれる人たちにも、また、自分にも共通しているのは、その収集の対象の範囲というのが基本的には、なにかしら限定的なものであるということである。一つの分野のものに関心を示し、収集する。これがいわゆるコレクションというものではないだろうか。<br />
　堀江敏幸さんの『もののはずみ』と題されたこの本は、そんなコレクションという枠からはみ出した著者の収集癖と、収集家や、コレクターといった人たちの関心の対象にはなりにくい、しかし、がらくた、というにはどこか愛せる、そんな品々の自己紹介に著者が耳を傾けて、それを書き記したかのような本だ。この本を読み終える頃、映写機からゴム印まで、一見文脈のないその品々の共通性が、星々を線で結び星座を見ているように、分かってくる。</p>
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		<title>一千年の目覚まし〜生き残った帝国ビザンティン〜</title>
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		<pubDate>Mon, 31 Aug 2009 13:53:01 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo</dc:creator>
				<category><![CDATA[散文]]></category>
		<category><![CDATA[読書]]></category>
		<category><![CDATA[井上浩一]]></category>

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　数日前、隣町の書店に行き『生き残った帝国ビザンティン』という本を見つけた。ローマ帝国の歴史にはずっと以前から興味があって、塩野七生さんの『コンスタンティノープルの陥落』も読んでいたので、欲しいな、と思った。けれど文庫 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><a href="http://amazon.co.jp/o/ASIN/406159866X/funnysunday-22/ref=nosim"><img src="http://images.amazon.com/images/P/406159866X.09._OU09_SCMZZZZZZZ_.jpg" alt="生き残った帝国ビザンティン" /></a></p>
<p>　数日前、隣町の書店に行き『生き残った帝国ビザンティン』という本を見つけた。ローマ帝国の歴史にはずっと以前から興味があって、塩野七生さんの『コンスタンティノープルの陥落』も読んでいたので、欲しいな、と思った。けれど文庫本なのに千円もする値段に購入を躊躇して結局買わなかった。それでも私はその本を諦めたわけではなくて、もしかしたら図書館にあるかもしれないと思ったのである。後日、図書館に行くとやっぱり図書館にあった。こういう時はなんとなく得意な気持ちになってしまう。さっそく借りて帰ったら、それから数日は台風の接近で雨が続いたので、部屋で黙々と読んだ。歴史の本というのはその対象にしているものが人物であっても国であっても、それが滅ぶところで終わるのがほとんどで、そのため読み終えると切ない気持ちになる。<br />
　ビザンティン帝国の千年以上も続いた歴史が終わるのは、ただその千年の歴史の重みだけではなくて、古代より脈々と続いてきたローマ帝国の歴史が途絶えた瞬間だった。395年に帝国が東西に分裂し、480年には西ローマ帝国が滅んだにもかかわらず、その後、盛衰を繰り返しながらもさらに一千年近く、1453年まで存続し続けた東ローマ帝国。ビザンティン帝国というのは現代になってつけられた呼称だが、しかしキリスト教化され次第に領地が狭くなっていったこの国をローマ帝国という名で呼ぶよりも、コンスタンティノープル（現在のトルコ共和国イスタンブル）の旧称、ビザンティオンからつけられたこの名で呼ぶのがふさわしい。<br />
　ビザンティン帝国を滅ぼしたのはオスマン・トルコ帝国であった。1453年５月29日、それまで様々な外敵の侵入を防いできた強固な城壁が、この帝国の巨大な大砲によって崩れたのである。約千年もの間、様々な外敵の前に立ちはだかり続けてきたこの城壁が崩れた時、奇しくもこのコンスタンティノープルの創立者コンスタンティヌスと同じ名を持ったコンスタンティヌス11世は、自ら皇帝の証である鷲の紋章をちぎり捨てて、少数の守備兵と共に敵兵に突入して行った。ビザンティン帝国一千年の歴史はこのようにして終わりを告げたのである。<br />
　私は読み終えて本を閉じると、しばらく、何度も大きなため息をついた。そうして息を吐かなければこの帝国の一千年の歴史が胸の中から抜けていかないような気がしたのだ。サァーッと車が水を跳ね上げながら走って行く音がした。台風はなおも近づいて来ているようだった。強い風が街路樹を揺らしていた。それは目覚ましのように私を現実の世界に呼び戻す音だった。</p>
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		<title>本と出会う時</title>
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		<pubDate>Thu, 20 Aug 2009 17:07:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo</dc:creator>
				<category><![CDATA[日記]]></category>
		<category><![CDATA[読書]]></category>

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		<description><![CDATA[先々週購入をためらった本を、やはりどうしても手に入れたくなり再び神保町の風光書房へ。書店内に入ると急に腹痛が起こり、その本のあった場所の記憶が曖昧だったために脂汗を流しながら本棚中を探した。無くなってしまったかと思ったが [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>先々週購入をためらった本を、やはりどうしても手に入れたくなり再び神保町の風光書房へ。書店内に入ると急に腹痛が起こり、その本のあった場所の記憶が曖昧だったために脂汗を流しながら本棚中を探した。無くなってしまったかと思ったがようやく見つけて安堵。</p>
<p>本との出会いには二種類がある。その場で運命を感じてしまうものと、読んでいくうちにその本と出会って良かったと思わされるもの。今日買った本は前者で、ぱっとページを開いた瞬間に、この本は自分にとって大切な本になるに違いないと思った。そう思ったのに最初に買わなかったのはこの本が古書であるのに2000円という高値だったため思わず怯んでしまったのだった。しかし時間が経つにつれて手に入れなかったことを後悔しだし今日買いに行くことになった。山室静『植物的生活から』。ついで300円だった庄野潤三『丘の明り』を購入。</p>
<p>ところで読んでいくうちにその本と出会って良かったと思わされたのはこれも神保町で手に入れた渡辺一夫『人間模索』。この本は本当に座右の書と言ってもいい。自分の考え方に大きく影響を与えてくれた。この本も薄い文庫なのに800円もした。</p>
<p>帰りに蕎麦を食べて、電車を北千住で下車し東急ハンズで便箋と封筒、それからずっと欲しかったマイ箸を買った。最後みはしでクリームあんみつを食べる。みはしのクリームあんみつは本当に良く出来ていると思う。ソフトクリームとあんこと黒蜜という個性派を見事に調和させている。</p>
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		<item>
		<title>図書館、ドッグラン</title>
		<link>http://www.funnysunday.com/blog/duke/995/</link>
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		<pubDate>Mon, 17 Aug 2009 16:41:16 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo</dc:creator>
				<category><![CDATA[愛犬]]></category>
		<category><![CDATA[読書]]></category>

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		<description><![CDATA[八月十七日（月）、午後図書館に行く。
借りた本、山室静/老いの気晴らし、ピエール・ガスカール/けものたち・死者の時、渡辺一夫/曲説フランス文学（再度借りた）。

夕方、S公園のドッグランへ。デュークは大興奮で公園に着く前 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>八月十七日（月）、午後図書館に行く。<br />
借りた本、山室静/老いの気晴らし、ピエール・ガスカール/けものたち・死者の時、渡辺一夫/曲説フランス文学（再度借りた）。</p>
<p><a href="http://www.flickr.com/photos/funny_sunday/3830746234/" title="疲れたコーギー by funny sunday, on Flickr"><img src="http://farm3.static.flickr.com/2530/3830746234_0ef8f38768.jpg" width="500" height="375" alt="疲れたコーギー" /></a></p>
<p>夕方、S公園のドッグランへ。デュークは大興奮で公園に着く前から鼻を鳴らしていた。バーニーズマウンテンドッグ、ハスキー、黒い大形犬(犬種不明、帰宅後調べたところ<a href="http://petpet.goo.ne.jp/pet/goo/zukan/doginfo.php?kind=87">ペルジアン・グローネンダール</a>というらしい)など、とても大きい犬が多くてデュークが小さく見えた。疲れたのかコーギーが地べたに寝そべっていた。そういえばデュークはこのコーギーのように両足を開いて寝ることが出来なくて、いつも両足を横に投げやった状態、いわゆるセクシーポーズ（？）で寝ています。</p>
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		<item>
		<title>狂信と寛容〜ガリヴァー旅行記〜</title>
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		<pubDate>Wed, 12 Aug 2009 18:11:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo</dc:creator>
				<category><![CDATA[散文]]></category>
		<category><![CDATA[読書]]></category>
		<category><![CDATA[スウィフト]]></category>
		<category><![CDATA[渡辺一夫]]></category>

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		<description><![CDATA[『ガリヴァー旅行記』を読みました。何を今更と思われる方もおられるでしょうが、何故か今まで縁がなく読む機会に恵まれなかったのです。けれど『ガリヴァー旅行記』は原作をまるまる読んだことはなくても、子どものころに絵本などで知っ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>『ガリヴァー旅行記』を読みました。何を今更と思われる方もおられるでしょうが、何故か今まで縁がなく読む機会に恵まれなかったのです。けれど『ガリヴァー旅行記』は原作をまるまる読んだことはなくても、子どものころに絵本などで知っていて、小人や巨人が住んでいる国、空飛ぶ島、馬が治めている国などが出てくるのは分かっていました。しかし改めて今、大人になり（私が一般の常識と照らし合わせて大人と言えればですが）読んでみますと、そのようなファンタジー的要素はただの手段に過ぎず、そこに込められた作者スウィフトの意思がこの物語をただの冒険物語ではない、物語として一段深いものにしていることに気付きます。それは当時（初版が出たのが1726年）と現在の状況を鑑みましても、人間の深い部分に潜んでいる危険な動物としての性質には変化がなく、従って現代におきましてもスウィフトの言葉は十分に我々の胸を打つに足る文章と言えましょう。</p>
<p>それはつまり「狂信と寛容」と言うことが出来るでしょう。この言葉は仏文学者、渡辺一夫氏がその著書『曲説フランス文学』で仰っていたことですが、自分の信じているもの、あるいは自分自身を正しいと信じて行動をすることは人間誰しもあることです。しかし人間は自分（または信仰しているもの）が正しいと信じるあまり狂信に陥りやすいということです。狂信に陥れば最後、他のものは一切が糾弾すべき対象になり、そのせいで人間同士が殺し合うに至ったということも過去の歴史を見ると珍しいことではありません。</p>
<p>しかし人間にとって一番必要なのは何が一番正しいのか、その唯一のものを決めることではありません。全ての人が寛容になり、自分以外の意見や主張を認め合い、場合によってはそれを止揚し、より正しいものにしていく。こういったことが人間にとって大切なことではないでしょうか。スウィフトは理性のある馬、フウイヌムの国で過ごしたガリヴァーを最後、人間の醜さに絶望させます。フウイヌムは個体ごとに特別な愛がなく、その死も悲しんだりしません。子どもは特に自分の子でなくても、足りなければ（この国では雄雌一頭ずつ子を育てる）よそから貰い受けたり、雄二頭が生まれてしまったら、雌二頭のいる家と交換したりします。いくら理性があり、その行動が正義に貫かれていても、他者に対する愛がなければそれは欠陥なのではないかと私は思います。</p>
<p>スウィフト自身は一体どうだったのでしょう？　人間が人間に絶望してしまえばそれで全てが終わってしまいます。人間は理性（愛と言い換えてもよいでしょう）に基づきこのような絶望から抜け出せるのではないか？　それだけが人間を完成へと導いていく唯一の考えだと私は思います。</p>
]]></content:encoded>
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		<title>雨の日の墓前で</title>
		<link>http://www.funnysunday.com/blog/essay/955/</link>
		<comments>http://www.funnysunday.com/blog/essay/955/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 29 Jul 2009 18:28:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo</dc:creator>
				<category><![CDATA[散文]]></category>
		<category><![CDATA[読書]]></category>
		<category><![CDATA[辻邦生]]></category>

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		<description><![CDATA[　辻邦生の墓所に行こうと思ったのは、たまたま図書館で借りた辻さんの奥さん、佐保子さんの本を読んだからだった。
　『辻邦生のために』と題されたこの本は、辻さんが亡くなられてから佐保子さんが書かれた文章をまとめたもので、ずっ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　辻邦生の墓所に行こうと思ったのは、たまたま図書館で借りた辻さんの奥さん、佐保子さんの本を読んだからだった。<br />
　『辻邦生のために』と題されたこの本は、辻さんが亡くなられてから佐保子さんが書かれた文章をまとめたもので、ずっと遠い偉大な存在として見ていた辻さんが、そこでは他者の客観的な視点で描かれていて、初めて人間らしく感じさせてくれた作品なのだが、そこでふと目に留まったのは辻さんの命日だった。1999年7月29日。この本を読んだのは6月の下旬だったが、それは間もなく没後10年になろうという時であった。<br />
　私にとって、初めて本を読んだ時には既に他界していた辻さんは、生死を超えた精神的存在として認識され始めていた。そう言うと信仰の対象として神格化してしまっているように聞こえるかもしれないけれど、というよりはもっと自然に、吹く風や、そよぐ木々の葉に、次第に流れて小さくなっていく雲に、そういった現象の中に、辻さんはいるような気がしていた。そして現在でも時々そう感じてしまうが、『辻邦生のために』で描かれている辻さんは生身で、生命を謳歌していて、とても人間臭かった。佐保子さんの文章の中からは辻さんの笑顔が見え、笑い声が聞こえてくるようだった。そして今では途切れてしまったその笑い声が、一人の作家の不在というのではなく、一人の人間の不在としてとても淋しく思えた。私はそう思うとどうしても辻邦生の墓を訪ねたいという気持ちになっていた。</p>
<p>　前日眠りについてからあっという間に朝になった気もするし、ゆっくり眠った気もするのだが、その日はいつになくパッと目が覚めた。私はまだ目を開く前の、意識がぼんやりと自分の中に覚めて来た瞬間から落ち着きなくそわそわとしていた。部屋の中はとても暑かったが、私はそんなことには気が付かず、急いで出かける用意をすませた。鞄の中には辻さんと北杜夫さんの対談を収録した本、『若き日と文学と』が入っていた。数日前、私は浅草に行った折に松屋で行われていた古書まつりに寄って、学術書も文芸書も一緒くたに入れられた雑然とした棚を見ていた。すると一瞬、一冊の本がちらと光ったような気がした。それはごく弱い光で、気のせいだったのかもしれないが、ふとその方向に目をやると、そこにこの本はあったのだった。そして、その日は私の誕生日であり、辻さんが亡くなって10年になろうという日の僅か9日前だった。<br />
　私は電車の中でその本を読み進めていた。電車を秋葉原で乗り換えた時にはまだ晴れていたのに、外はすっかり雨になっていた。窓硝子には斜めに切り裂くような鋭い形の水滴がつき、窓外には雑多なビルが曇った灰色の空を突き刺すように建ち並んで、いつにも増して圧迫感のある景色だった。本の中では辻さんと北さんが二人でスイスのトーマス・マンの墓を訪ねた思い出を語っていた。</p>
<blockquote><p><strong>辻</strong>　墓の向こうにすぐチューリッヒ湖が蒼く見えている。裏手にはそれこそ『トニオ・クレーゲル』の庭みたいに、　泉がひたひたと音をたてていた。君は墓の前に歩み寄って、じっと見つめている。ぼくはふと目を湖に向けていた。そのとき、君は突如として、嗚咽し始めた。<br />
<strong>北</strong>　それ、やめてくれ。それ、ちょっとやめろよ。<br />
<strong>辻</strong>　君は涙滂沱としてトーマス・マンの墓に跪いて……。<br />
<strong>北</strong>　それ、ぜんぜん大げさすぎる描写だ。</p></blockquote>
<p>　これから辻さんのお墓を訪ねようとしていた私は、この二人の会話が自分に重なって、辻さんのお墓を前にした自分が、もしかしたら突如として嗚咽し始めてしまうのではないかと思った。そして『辻邦生のために』を読んで辻さんの命日を知り、自分の誕生日に『若き日と文学と』を手に入れ、今ここでこの文章を読んでいるということが、まるで宿命のように繋がったことに驚いていた。<br />
　気が付くと電車はもう新宿を超えていて、外の景色はさっきまでとは一変、高い建物は殆ど目に付かず、空が遠くまで見渡せた。雨はますます勢いを増して、上空にはどんよりと雲が垂れ込めていたが、久しぶりに見た空の彼方に私はすっかり心が軽くなった気がした。一度乗り換えをして多磨駅に着くと駅を出た瞬間、急に五感が敏感になって様々なものが、いつも以上に美しく思えた。分厚い雲を抜けて届く光、叩き付けている雨粒の音、湿った町の匂い、そうしたものが突然に、なんともいえない魅力で私に迫って来た。傘を差して歩く私はとてもうきうきしていて、目に入る全てのものが、聞こえてくる全ての音が、本当に快かった。普段であれば出かける時に雨が降っていれば残念な気持ちになるのに、まったく弱まる気配のない雨さえもが、今日は私を歓迎して降っている、そんな風に思えた。<br />
　多磨霊園は駅から5分と聞いていたが、雨のためか10分程はかかったろうか。入り口の手前に数軒の花屋があり、私はそこで小さめの花を買った。多磨霊園は想像以上に広く辻さんのお墓を見つけるのに苦労した。何度も案内図を見てはメモして来た辻さんのお墓のある場所を確かめた。舗装された道から墓石の並ぶ未舗装のぬかるんだ小道に入り、一区画置きに出てくる番地を確認しながら歩いていると、次第にその数字がメモして来たものに近づいて来た。私は殆ど駆け出したい気持ちだったが、心を落ち着かせようと深呼吸した。それでも次第に早足になって、ついに目の前に辻さんのお墓を見つけた。私は感動と興奮で何が何やら分からなくなっていた。ただ目の前に辻さんのお墓があり、ここに辻さんが眠っているのだと思った。花を供え手を合わせると、いつまでもこのまま黙祷し続けていられるような気がした。目を閉じていると雨の音は遠のき、ただ無が広がった。しかしその無は虚無ではなく、何かとても暖かい、体温のある無だった。どれくらいの時間が経っただろう。私は再び目を開くと目の前の墓をじっと眺めた。「辻家之墓」と刻まれたその墓碑を見続けていると、辻という文字の“十”の線と線が交わるその中心に、吸い込まれてしまいそうな気がした。<br />
　結局私は、トーマス・マンの墓を前にした北杜夫さんのように、嗚咽することはなかったけれど、いつまでも墓前に立って、まるで自分が墓石になってしまたっかのように、そこに立ち尽くしていた。</p>
<p>　帰りはそのまま帰宅せずに池袋へ行った。としまふれあい交流サロンというところで行われている展覧会『作家 辻 邦生を知っていますか—美しい日本語で読む目白—』を見ようと思ったのだ。少し古そうなその建物に入ると、目の前に階段があって、その横に現在の催し物がなんであるかを書いた張り紙が出ていた。その案内に従い二階へ上がると、広い事務所風の部屋の一角の狭いスペースに、パネルになった辻さんの大きな笑顔があった。その笑顔が自分とは全く無関係であることははっきりと分かっていたけれど、もし想像の自由を許してもらえるのなら、まるで「墓参りに来てくれてありがとう」と言ってくれているような気がした。</p>
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		<title>辻邦生さんのお墓を訪ねて</title>
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		<pubDate>Mon, 27 Jul 2009 17:14:17 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo</dc:creator>
				<category><![CDATA[旅行]]></category>
		<category><![CDATA[日記]]></category>
		<category><![CDATA[読書]]></category>
		<category><![CDATA[辻邦生]]></category>

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　今月29日に亡くなって10年になる辻邦生さんのお墓に行って来ました。辻さんのお墓は多磨霊園にあって、多磨霊園には他にも沢山の著名人が眠っているので訪ねたいお墓をリストアップして行ったのですが、大雨で辻さんのお墓にしか [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p><img src="http://www.funnysunday.com/photo/tamareien.jpg" alt="多磨霊園" title="多磨霊園" width="320" height="240" class="alignnone size-full wp-image-937" /></p>
<p>　今月29日に亡くなって10年になる辻邦生さんのお墓に行って来ました。辻さんのお墓は多磨霊園にあって、多磨霊園には他にも沢山の著名人が眠っているので訪ねたいお墓をリストアップして行ったのですが、大雨で辻さんのお墓にしか行けませんでした。しかしそのせいか、逆に感動もひとしおでした。それは何故か僕には運命のように感じられました。天気がよくて色々な方のお墓を訪ねることが出来たら、ここまで感動することはなかったでしょう。</p>
<p>　行きの電車の中で辻さんと、北杜夫さんの対談の本『若き日と文学と』を読んでいたら、丁度二人がスイスのトーマス・マンのお墓を訪ねる場面で、墓前で北さんが嗚咽していたという話しが出て来て、これから辻さんのお墓参りにいく自分に重ねてしまいました。</p>
<p><img src="http://www.funnysunday.com/photo/grave.jpg" alt="辻家の墓" title="辻家の墓" width="320" height="240" class="alignnone size-full wp-image-936" /></p>
<p>　電車が多磨駅に着くとお腹が空いていて、霊園に行く途中にあったコンビニでおにぎりを買って食べました。レジのおばさんに「多磨霊園はどちらですか？」と尋ねると親切に教えてくれました。霊園が近づいてくるにつれて僕は早足になっていました。雨に濡れるのも気にせず走り出したい気持ちでした。入り口の近くには数軒の花屋さんがあり、そこで小さめの花を買いました。<br />
　多磨霊園はとても広く、大雨の中、辻さんのお墓を探して歩いたらびしょ濡れになってしまいました。ようやく見つけたその墓前で彼女に「この下に辻さんが居るよ」と言われたら、感動しすぎて嗚咽はしなかったけれど、思わず叫んでしまいました。辻さんのお墓の裏手が丁度空いていて「僕は将来ここに入る！」などと言って彼女に笑われました。花を供え手を合わせるといつまでもそうして、黙祷し続けていられる気がしました。再び目を開いて墓碑を見ると、辻という文字の“十”の線と線が交わるその中心に吸い込まれてしまいそうな不思議な感覚がしました。</p>
<p><img src="http://www.funnysunday.com/photo/tsuji.jpg" alt="辻邦生" title="辻邦生" width="237" height="300" class="alignnone size-full wp-image-938" /></p>
<p>　帰りに池袋で行われている『作家 辻 邦生を知っていますか—美しい日本語で読む目白—』（09年6月24日〜09年8月6日まで）を見て来ました。としまふれあい交流サロンという建物に入り二階へ階段を上っていくと、事務所風の部屋の一角の狭いスペースにパネルになった辻さんの大きな笑顔がありました。そこには直筆原稿の複製や、辻さんが描いた落書きがあって、中でもその落書き（福永武彦氏の似顔絵）は何とも微笑んでしまうものでした。</p>
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		<title>本の運命</title>
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		<pubDate>Thu, 23 Jul 2009 05:27:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>kiyo</dc:creator>
				<category><![CDATA[散文]]></category>
		<category><![CDATA[読書]]></category>

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		<description><![CDATA[　先日、浅草に行くと松屋の七階にて古本まつりを開催中だったので、私は失敗した福笑いの顔のように目尻を垂れ下げながら、広い会場内の本棚を端から端まで眺めていたのだが、すると不意に、若いのに勉強して偉いねぇ、という声が右の方 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　先日、浅草に行くと松屋の七階にて古本まつりを開催中だったので、私は失敗した福笑いの顔のように目尻を垂れ下げながら、広い会場内の本棚を端から端まで眺めていたのだが、すると不意に、若いのに勉強して偉いねぇ、という声が右の方から聞こえてきたのだった。私はその時、常にない程の集中力を発揮していたので、近くに人が近づいて来たのに気付いていなかったのだけれど、本棚から顔を上げて右を見ると、沢山の笑い皺を顔に刻んだ老人がこちらを見ていた。その老人は私が気がつくと、自分は歴史が好きなのだ、ということを話しだして、その言葉に相づちを打つ暇も持たせずに続けた。</p>
<p>　「織田信長が○×△□、豊臣秀吉が△○×□」という人名以外はよく聞き取れない話しは、その辺りまで戦国時代が好きなのだなと思っていた私を裏切って「ヤマトタケルは○×△□、天皇が△○×□」というものに何の前触れもなく変わり、今度は日本書紀の話しかと思っていると急に「自分の墓は○△□○×で△○×□」というものに変わり、その墓が何やら由緒正しいものである、ということを熱弁しているようだった。殆どの言葉が聞き取れないその老人の話しに私はやがて頭が混乱して来て、どこかで打ち切らねば永遠に続きそうな老人の話しにどこで、なるほど、勉強になりました、と辞すべきか、そのタイミングを計っていた。<br />
　やがて老人は歩き出してようやく話しは打ち切りになったのだが、一度打ち切った話しを今度は振り返って話しだしそうになったので、私は何か用事でもあったかのようにその場を離れたのだった。</p>
<p>　古本というのは本当に財布の紐が緩むもので、私はあれもこれもと買ってしまいそうになる衝動を抑えて、図書館で借りれそうなものはそちらで借りる、という決まりを心に、手元に置いておきたい本だけを選んだ。文庫本のところなどはあまり真剣に見ていなかったのに、まるで本自体がその存在をアピールしているように目に止まったのは、それが今年間もなく没後十年を迎える大好きな辻邦生さんの本で、その日が自分の誕生日であっただけに偶然とは思えなかった。</p>
<p><a href="http://amazon.co.jp/o/ASIN/4122001099/funnysunday-22/ref=nosim">『若き日と文学と』北杜夫・辻邦生</a><br />
<a href="http://amazon.co.jp/o/ASIN/B000J99ALW/funnysunday-22/ref=nosim">『白日夢』渡辺一夫</a><br />
<a href="http://amazon.co.jp/o/ASIN/B000J94CPQ/funnysunday-22/ref=nosim">『寛容について』渡辺一夫</a></p>
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